世界最古クラスの日本の石器と縄文クッキー
昭和な世代では石器時代と言えば、思い出すのは、フランスの西南部ドルドーニュのラスコー洞窟でした。
小・中・高等学校では、耳にタコが出来るくらいにお勉強して、テストには出ないけれども、知識としては濃厚にインプットされています。
石器時代は日本にもあって、出雲市多伎町砂原で新しい露頭の古地層中から1点の小石片(玉随製剥片)が見つかって、なんと11万年前の石器だったそうです。
バリ旧石器時代じゃないですか。
磨製石器についても最古の例は日本で、3万8千年前から3万5千年前に遡るということです。
昭和世代では考えられない程の、今ではわかってしまった史実。
石器に関しては日本は世界的にみても、結構古い印象です。
11万年前の日本は、大陸とも陸続きだった。
それにしても、日本よりアフリカに近い大陸でもっと沢山古い石器が発見されてもよさそうなモノなのに・・・?
人類の起源はアフリカ大陸だったから・・・。
もしかしたら、この国の地層が平和裏に温存されていたのかもしれません。
地震の多い列島なのに・・・。
この辺りのお話を義務教育で、次代を担う子どもたちにシッカリと授業しているのでしょうか・・?
さて、この国の縄文時代は1万年以上続いたという事です。
火山の大噴火で一時、大災害・飢きんの憂き目に遭った時、住民は移動して人口も安定はしていなかったそうです。
とはいえ1万年の縄文時期。
火山活動と四季がこの国の住人には比較的好条件を提供してくれて、この時代からこの列島は、暮らしやすい場所だった。
例えば海外では、この国ほど飲み水に恵まれているところは、珍しい方です。
清流な河川、森林とは世界でも、そんなに多くはない。
縄文時代では、この島の住民は、栗も菜園で育てていた事も今では、分かって来ています。
農耕を始めるまでは、縄文人は狩猟・採集の民だった。
この地の住人が農耕を始めて今まで、まだ1万年もたっていません。
鉄器の無い時代、大木を石器や火を使って加工して、村落を形成して原始的な共同生活を1万年も続けて暮らしていた。
鉄器が導入されたら、世界的にも切れ味の良い包丁を作り出して、調理の技術も独創的な私たち。
私たちの祖先、縄文時代にはすでに、クッキーが食されていたそうです。
自然な甘みと軽い食感がくせになります 美味 サクっと黒穀 縄文香菓 5個(60g×5)
育児 教育
めでたく子の親になった時、子どもの無事出産の喜びと、子育ての不安で結構複雑な気持ちを抱えているかもしれません。
昔の様な大家族なら、親兄弟親戚の援助も期待できますが、最近は核家族化で隣近所のお付き合いすら希薄化されて、子育ての負担は両親、特にお母さんの方にかかって来たりするのが、一般的な様です。
賢いお母さんなら、近所付き合いで社交的にコミュニティーを活用して、負担軽減も目指せるでしょう。
あるいは自治体の子育て支援センターを活用するという手段もあります。
親は無くとも子は育つ。
などと昔から言われていますが、そこまでムゲには出来なくても、赤ちゃんの頃からシッカリ育児して行けば、子どもの方から手をかけなくても良い様にスクスク元気に、清く正しく育ってくれます。
どうすればそうなるか?
それは、万国共通です。
つまり、生まれ出たその日から赤ちゃんに話しかけてあげて、赤ちゃんの五感の発達を促してあげて、話せる時期を早めてあげる事。
話せる様になったら、面倒くさがらず対話してあげる事。
会話の数の多い幼児期を過ごせた子どもは、知能も情緒も優れた子どもに育ってくれます。
子どもの就寝の時、絵本を読んであげるのも決して無駄ではありません。
話しを聞いてあげたり、話しかけたり。
その頻度が多ければ多い程、子どもはスクスク元気に、清く正しく早く育ってくれます。
これはもう普遍の法則です。
さて、早い方なら幼稚園の入園前に情操教育の始まり。
お稽古事や習い事。
実は、米国のリサーチでは自由時間の多い子どもほど、語彙力が豊富という結果が報告されています。
という事で子ども本人が望んで通いたいというのなら、お稽古事も習い事も良いかもしれません。
けれども、統計的には自由な時間の中で、子どもは遊びから生き方を学んでいるという事です。
これって、哺乳動物や鳥類の本能です。
家元とか芸能に従事しているのなら致し方無いのかもしれませんが特殊な場合でない限りは、子どもの自由度を制限するよりも本能の活用の方が、私たちには有効な様です。
出来ればフィールドワーク、野外活動で五体・感覚を使って遊びながら学習するのが、最も有効だという事です。
子どもはいたずらします。
この時も感情的に叱ってはマイナス面にもなりかねない場合が、あります。
親の威厳と厳しさを冷徹に対話で解決できる様にすれば、子どもが納得するまでの対話や、親の後ろ姿を見て子どもは悟るように神様が設計しているモノです。
これも万国共通の普遍の原理です。
烈火の怒りは最終手段。
気を付けていないと子どもも賢いので、いずれ裏をかかれたり・・・?
子どもの未来には、今の私たちでは想像できない生き方を迫られるかもしれません。
終身雇用やエリートコースという概念は今ですら、徐々に希薄になりつつあります。
AIの発達で今ある仕事もロボットや機械でまかなえる時代も早晩、訪れそうです。
そうなると子どもたちの創造力や知恵・知識が、今の私たち以上に必要になって来るでしょう。
なので、子どもたちには未来を見据えられる力を培って欲しいモノです。
義務教育からでは真理の追及には、中々及ばないかもしれません。
塾に通ったとて大同小異でしょう。
AIの発達と同時にネットの普及も日進月歩、ネットの活用で検索してリサーチできる知識や、バイリンガルになって海外からの知識に触れられる力を養う事も一つの手立てでしょう。
それ以上に子供に未来への不安より希望を目指す力を与えられるのは、ほかならぬ親の使命です。
勇気や倫理観、優しさや・厳しさや・忍耐もいずれ学べる心を育んで行けるように、伝えないとイケマセン。
手っ取り早いのは、働く親の後ろ姿でしょう。
実際に見せる事が出来れば、話すよりも説得力はあるのは、百聞は一見に如かずでこれも普遍の法則です。
虚からは何も生まれません。
真実を見抜ける眼も育てないと、イケマセン。
子育て支援は、何より親自身の生涯学習の覚悟ソノモノ。 子どもも育つが、親も育っている。
今と去年の今と
フト思い出しました。
去年の5月26日。
メチャクチャ暑かった。
今年はマスクが欠かせません。
薬局・薬店では消毒液のエタノールも、何時までも品切れ。
それにしても、小さな脅威(COVID)は世界大戦なみの破壊力です。
今ではようやくと徐々にではあるけれど、健全な世界に戻りつつありそうな気もし出しました。
歴史上、驚異のどん底に陥れた疾病・疫病としては、ペストやハンセン病などが有名で、当時は今ほど医学・科学が発達していなかったので、祟りとか宗教的な発想で、恐怖が収まるまで人類は悩まされたことを歴史で教えてくれました。
ペストもハンセン病も今ではホボホボ克服されて、治療法も偏見も克服されたりして来ました。
さて、インフルエンザもコロナもウィルスが原因だと言われています。
ウィルスと菌はその大きさも違えば、全くのベツモノで私たちの世代では、ウィルスは半分生物で、半分無生物という回答でした。
ウィルスは突然変異をして、自分の生存を脅かす危険から逃れるそうです。
人類が変異して進化するには、長い年月と火山の噴火とか放射線などとのかかわりがあって今に至ったという説を聞いたりします。
その点ウィルスは、もっと単純なきっかけで変異して生き延びるのだそうです。
細胞の最も根源的な遺伝子、その中でもDNAとかRNAの世界で、ウィルスは定義されています。
菌に対する特効薬はあるけれど、ウィルスの場合はそれほど多くなく、免疫を期待してワクチンを開発、人体やウィルスに攻撃される側の体力を対抗できるようにするというイメージです。
ウィルスは単体なら、数時間で消滅するそうです。
生物の様に長生きは出来ない。
宿主に寄生しないと増殖も出来ない。
昔の光学顕微鏡では見つける事も出来ない程、小さなウィルスは電子顕微鏡でその姿が明らかにされました。
竹中半兵衛 DaiGoさんのユーチューブ
ウィキペディア参照図
ネットワークのインフラは、私たちに色々な事を教えてくれる様になりました。
情報の氾濫は、それを見る側・聴く側に取捨選択を余儀なくさせますが、選択の自由が担保されている分少なくとも、昔には戻りたくないと思わせます。
今もって過去にカジリつくのも自己の風化・劣化・老化に繋がる危機感を感じたりします。
情緒(好き嫌い)も大切だけれども、理性で乗り越えなければならない時があるのも、それはいつの世でもあった事でしょう。
さて今やTVやラジオ、新聞からのみの情報だけでは頼りない(?)というイメージすら感じる事があります。
公権とは言えTVやラジオから伺える国や自治体の公告も、国民にバイアスをかけないという保証もないという感じもしたりしたこともあります。
例えば、忖度とか冤罪とか・・・。
見えないところで既得権益者同士の特権の保護とか・・・。
それ等の事が一般の旧メディアにも当てはめられて、彼らからの情報にもバイアス感を感じないではないという気にもなったり・・・。
一方、法律だって完ぺきではないでしょう。
時間に伴う劣化もあるでしょうし、世の中の無常に合わせての改正も必要です。
そんなこと考えて、今回のコロナ騒動は、政に携わる皆様の色合いを色々なメディアが、様々な評価を披露されていて、ネットでもご同様。
世界各国の状況も報告されてきて、我が国は結構奮闘努力の効果があったのか、他国に比較して奇跡的な状況なのだそうです。
習慣的な衛生観念が幸いしているとか、医療機関も比較的充実しているとか、色々な要因を上げられている様です。
そんなこんなの現状を鑑みて、情報の速さや正確さは私たちにも喫緊の問題なのが、切実に体感させられました。
情報は確実に、過去より今の方が圧倒的に多くそして迅速に私たちの耳元まで、届くようになって来ました。
話しは変わって、ユーチューブ。
メンタリストのDaiGoさんの動画を伺ってみて、半兵衛が金華山を数名で落城させた歴史話を思い出したりしました。
若い頃の半兵衛は家臣として、上層部にはあまり高い評価を得られてはいなかったそうです。
その間隙を縫って、城主たちの怠慢(?)を非難する様な挙にでたお話。
その逸話とは全く関係は無いのだけれども、DaiGoさんのお話は本当に面白い内容でした。
映像は軽い感じで、話している事は結構興味深い内容だと思いました。
他方、公権を持った政に携わる皆様の発言の、例えばインタビュー・会見というのは、紆余曲折な解釈をされてはイケナイので、多くの校正を経て、私たちに公告される事になるから、カスミがかかった様な回答という気もしないではありません。
米国の大統領はその辺りを多少無視した公言で、迅速な処置を執り行っている印象を受けたりします。
他方、我が国の皆様の努力は国民にどう映っているのでしょう・・・?
一人一人が色々な情報を日々の生活に役に立たせるためには、聴く耳を持つ私たちの思考法に依存するというお話が、DaiGoさんのお話には込められていたと思い、非常に興味深かったのです。
イスラエルと日本
国際的に、日本人は概ね評判が良い様です。
特に有名なのが、トルコやポーランド、パラオは有名。
このうちトルコとポーランドは日露戦争で、ロシアに果敢に挑戦した歴史がかの国の国民に高い評価を得たのは、学校ででも教えてほしい誇らしい処です。
日露戦争では、軍費が国内ではどうにも捻出できず海外へ借金を申し出ましたが、当時の海外での評判は極東の小さな国がロシアに勝てるわけがないというのが有力な評判だったそう。
どこも貸し手は無かった。
けれども一人この国の借金を受け入れてくれる人がいた。
その人がユダヤ人銀行家のジェイコブ・ヘンリー・シフ。
ユダヤの民は亡国の民だった。
それ故に欧州各国を流浪して、その国々を富ましても彼ら自身が経済を握ってしまうので、最終排斥の憂き目に遭い、国を追われることもしばしばあったそうです。
欧州では当時ユダヤ人はその様な目でも見られていたそうです。
他方で、日本人はそんな彼らをその様な目では見ない。
そんなに優れた人々なら、教えを請い仲良くしてもらいたいというのが、維新後の私たち。
それ以前は鎖国の影響で、ポルトガルやオランダ、スペインあるいは一部の海外の人々としか胸襟を開く事は無かった。
イスラエルの人々の中には、アインシュタインを尊敬している日本人が、少なくない事もご存知。
アンネ・フランクを知っている事も・・・。
全体主義の時代。
ドイツと日本の差を知っていたのかいないのか、彼らの命を少ないとはいえ、救済した事実もご存知。
杉原千畝は有名だけれど、樋口季一郎も彼らは知っています。
戦犯で軍人であった樋口季一郎をマッカーサーが、ソ連の引き渡し請求に対して拒んだのは、ユダヤ人の活動があったから。
体力の無い国家程、諜報活動が優秀なのは古来よりの一つのカタチ。
当時の共産圏ソビエトの諜報活動は、MI6やCIAを凌駕していた。
アインシュタインもカール・マルクスもユダヤの民。
イエス・キリストも・・・。
アーカイブ 大河ドラマ 司馬遼太郎
司馬遼太郎と言えば、昭和世代なら最も有名な日本歴史小説の大家の一人という印象です。
池波正太郎や柴田錬三郎と並ぶ、直木賞的な作家で、新聞記者から転身された作家だった。
映画「悪名」で、八尾の朝吉と言えば勝新太郎と田宮二郎、の名コンビその小説を書いた作家が、今東光。
売れに売れた日本映画でした。
氏は坊さんの印象でしたが、政治家にもなったりして、結構破天荒な僧侶のイメージでした。
一説によると司馬遼太郎は、彼に作家になれと勧められたそうです。
当時すでに有名だった小説家、海音寺潮五郎からも讃えられた事も記憶の端に残っているのですが、これは個人的おぼろげな記憶なので真偽のほどは不明です。
海音寺潮五郎には、西郷や大久保を教わり孫子も教えてくれたイメージです。
第二次大戦を経験して記者だったこともあり、当時の世相に一投を投じていたのは作家としても有名だったので、そんな彼の言には、子ども心にも何か複雑で難しい感覚を感じいていたモノです。
彼の作品は大河ドラマ化されて、かなりの評判だった。
同世代付近の方々なら、司馬遼太郎の名を知らない人はいないでしょう。
生涯、東大阪市の小阪を住処にして、それは市長さんか誰かに、ここでずっと執筆してくれと請われたそうで、当時いたずらなガキだった亡父が、多分先生に怒鳴られたかもしれない頑固そうなオヤジさんが、彼だったかもしれないという昔話をしていたのを覚えています。
亡父は、柴錬と司馬遼を専らの愛読書として生前、蔵書していました。
という事で親子共々、歴史認識がどうしても彼等から影響を受けています。
例えば、坂本龍馬は英雄だし、幕末の志士、西郷や大久保、大村益次郎、高杉や容堂、以蔵に岩崎弥太郎、象二郎、新選組に至るまで彼の書籍から受けた印象です。
慶喜もそうでしたが海舟だけは何故か、子母沢 寛が濃密に脳裏にこびり付いています。
司馬遼太郎はフィールドワークが凄まじい印象でした。
海音寺や子母沢の頃はまだ、明治を知る人々が生きていて口伝で、事件を知る事も可能でした。
司馬遼の時代になるとその様な事も難しかったのではないでしょうか・・・。
その分、文献や現地の史跡を訪ねて元来記者でもあったから、取材力にはかなりの手腕が発揮された事でしょう。
逆に言えば記者だったウィークポイントもあったのかもしれません。
それが何かなのかは知る由もありませんが、大戦の経験は大きかった事でしょう。
彼の作品は信ぴょう性の塊で、ツイツイノンフィクション的判断に傾倒してしまいそうになります。
彼亡き今となっては、作品などを通じて今を知るしか術はありません。
中国との国交が開かれた時、彼や井上靖、陳舜臣、須田剋太等がかの国を訪れて、そのエッセイも結構人気になりました。
今それらを再読した時、かの国の異常なまでのドラスティックな変貌には、さらにそれ以前のかの国の歴史に新たな洞察を想像できたりさせてくれます。
当時を生き抜いた、作家や画家の作品の対し方にも同時に新たな洞察が加味されたりもします。
司馬遷から名を借りた彼の小説にも、私的なエッセンスが含まれているだろうことは当時から薄々感じてはいましたが、その様な線上ででも時の流れというモノは更なる気づきを示唆してくれるのが、分かるような気になったりします。
NHKがアーカイブで過去の中国を訪れた映像を流している時、ふとそんな事が脳裏を過ぎりました。