GGUSⅢ日記

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国土 民主主義 風車 チューリップ

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バブル時代真っ最中な頃、欧州へ旅行された方々なら、EU以前のヨーロッパの西欧旅行を楽しめたのではないでしょうか・・・?

 

 

その国々で紙幣は異なって、ポンドもあればフランもあって、ギリシャならドラクマで、イタリアならリラ・・・。

 

 

今ではユーロで統一されて、悲喜こもごもなヨーロッパな感じもします。

 

 

欧州へ旅をすれば、美術館巡りや教会へも伺ったりして、石で組積された歴史的建造物をどの国ででも見受けられて、日本では考えられないくらいに厚い壁や石畳にも異国情緒を感じさせてくれたりします。

 

 

当時のイギリスには、まだ木像のエスカレーターも残っていて、ゴロゴロと大きな音をたてて不思議なアンティークのイメージも感じたり、タクシーのオースチンにも補助いすが木製だったのを記憶しています。

 

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あの頃に比べると、経済は益々世界を席巻して、旅行を楽しむという中にもあの頃にあったワクワク感とか、異国情緒な感じが希薄になったのではないかという気にもなったりします。

 

 

西欧にはどこに行っても教会があって、日本の神社仏閣以上にランドマークにもなっていて結構、幅を利かせている印象です。

 

 

結婚式は教会で挙げるというイメージが、強烈に、日本人ならついつい勝手に、想像したりもしたものです。

 

 

でも実際は、ことオランダに限れば、結婚式は市庁舎で上げるのだそうです。

 

 

教会ではなくて、市庁舎で挙げる事が多いのだそうです。

 

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オランダの市長は選挙で任命されるのではなくて、国から任命されるそうです。

 

 

市民の結婚式には必ず出席して、市長も一緒に祝うのだとか・・・。

 

 

これは、司馬遼太郎の街道を行くで放映されていたお話です。

 

 

オランダへ行けば、国立美術館に訪れる機会があるでしょう。

 

 

ソコにはレンブラントの夜警が展示されていて、その本物を肉眼で見られることに感激した事を覚えています。

 

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西欧の美術館では、歴史的な絵画が数多く展示されていて、特にイタリアやイギリス、フランスではキリスト教に関する絵画をかなり多く鑑賞する事になります。

 

 

近世になって、日本の浮世絵や木版画が欧州に渡って、ジャポニズムが欧州の画家たちにセンセーショナルなエポックになって、絵画に求められていた意味合いに、新たな美が添えられるようになって、印象派と呼ばれる様な、絵画の新たな可能性が生まれたとも言われたことは、日本でもお勉強で学ばされたとも思います。

 

 

日本の私たち自身、浮世絵や木版画を肉眼で鑑賞する機会は早々にはない様な気もしますが、実際に北斎や広重、写楽を鑑賞すれば、写真やTVではわからなかった、ダイナミックな印象を与えてくれたものでした。

 

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近世美術館では、ピカソやダリ以降の新たな絵画も誕生して、それ以前に誕生していた絵画と一緒に展示されて少々分かりにくいのですが西欧では絵画とは先ず、キリストに関わる、神に関わる作品が圧倒的だった。

 

 

逆に言えば、神に関する出来事を絵画で表現していた。

 

 

それが欧州の美術館で受ける大きな印象の一つです。

 

 

しかしながら、オランダでは先に述べた、レンブラントの夜警のような市民を描いた作品が展示されています。

 

 

司馬遼太郎の街道を行くでは、その件に言及されていて国土とは神が与えたもうた恵みだというのがほとんどの国での思いなのですが、ことオランダでは正に民衆によって培われた国土だったという事です。

 

 

オランダは海抜より低い国土が、ある事でも有名です。

 

 

オランダの人々は民衆の力で国土を開発して、国家を維持して来ました。

 

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この国の道は海外から石を輸入して、専門の職人の手によって道路が舗装されて来た。

 

 

国土を守る堰堤も石の組積みで拡張されて来た。

 

 

コンクリートではなくて石で国土が守られて来た。

 

 

この事は、漁業や農業などの食うための産業には多大な貢献をしてくれて、この国の自然を担保してきたという事です。

 

 

オランダの石の専門家なら、石の顔を見ただけでどこから仕入れられた石かもわかる程、その関わり合いが深いのだそうです。

 

 

オランダに限って、国土は民衆によって培われた恵みだった。

 

 

民衆の力は絵画にも波及して、民衆が割り勘で絵画を作成した。

 

 

一人一人の国民が割り勘で、レンブラントの夜警を造ったワケです。

 

 

オランダの日本人小学校は年間1ギルダーの賃貸料でその土地を小学校として、活用しているとの事でした。

 

 

当時の日本は国土を投機の手段にしていた。

 

 

司馬遼太郎は、その事実を憂いて程なく他界されました。

 

 

オランダは東インド会社で国力を増大させた時期が、あります。

 

 

当時も王権によるものではなくて、民衆の力で会社を設立して国力を増強させてきた。

 

 

一方でチューリップを投機の材料にして、バブルを経験して自虐的な絵画も残しています。

 

 

日本では古来よりご先祖様の土地に縛り付けられて、悲喜こもごも味合わされる現実があります。

 

 

国土と国民は、どのように相対するべきなのでしょう。

 

 

災害の少なくないこの国。

 

 

海外からの圧力も少なくないこの国。

 

 

国民の命も財産も、国土ありきで国家は形成されている。

 

 

縄文時代には調子のよかった頃もあったから、一万年以上も続いた・・・?

 

 

かつてもこの日記で書かせてもらった、農耕文化を取り入れて、均質化を好むこの国の人々の性格が否応なく稲作の文化を取り入れて、飢饉を経験してしまった北国の事件・歴史。

 

 

国土が神より与えたもうた恵みのままだと、人は神に甘えて土地利用を間違えたりするのでしょうか・・・?

 

 

オランダの国土を一時、羨ましく思ったりしてしまいそうです。

 

 

でも実際は、民衆の力を注がないと生きて行けない国土だった。

 

 

本来の民主主義とはオランダの風車に表現されていたのかもしれません。

 

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