GGUSⅢ日記

お気に入り情報の発信です。マイフェイバリットな趣味やおすすめ情報をご紹介。

ウメイロ 船釣り

海の沖へ、船に乗って魚釣り。

 

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この時期から、南紀の沖ではウメイロが釣れます。


南方系の魚です。


アオダイの仲間。


波止や近郊で釣れるタカベに似て非なる魚。

 

 

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タカベは沿岸の表層で釣れる美味しい魚です。


一方ウメイロは沖の比較的中層、水深30mより深い処で、南紀では釣れます。


ウメイロは、タカベの様に群れを成して、釣れる時にはイッパイ釣れるという釣れ方ではなくて、たまたま仕掛けにたどり着いた獲物だけが運よく針掛かりしてくれるイメージの釣りになります。


その引きはタカベの様に軽快ではなくて、小ぶりな割には結構な引きを味合わせてくれます。


そんなに大きくはならないけれど、身に厚みがあるので刺身でも、味わえる調理しやすい獲物です。


3~4日程、熟成させるとこの魚の美味しさが堪能できます。


ウメイロは味わった事のないのなら、みそ汁の出汁にして味わってみて欲しい魚です。


みそ汁の出汁と言えば、カツオや削り節、ひと昔前なら、煮干しのイメージです。


このウメイロで出したみそ汁の出汁は、それ等とは全く違う、上品で濃厚、えも言われぬ味わい、絶品です。


魚好きなら、一口目でその美味しさには魅了されるでしょう。


南方系の比較的小ぶりな、しかも背中が鮮やかな熱帯魚風の魚なので、知らない人からすれば、食い気を誘う様な高級魚には見えない魚です。


でも実際は、漁獲量もそれほど多い魚でもなくて、市場でお目にかかる事もそうは多くはない魚で高級魚です。


モチロン養殖されているという話も聞いたことはありません。


この魚の最もおいしい食し方は、やはり自分で釣って、食すというのが最善の魚という事になります。

 

 

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その身は刺身や、煮つけ、焼いても美味です。


頭部や骨は絶対に捨てないで、必ずみそ汁の出汁にしています。


それがのこの魚の最も顕著な美味しさを、実感できるレシピだと言えるからなのです。


この季節の魚料理は、例えばウナギなら肝吸い、アユなら塩焼き、キジハタの夏の鍋には臓物をきれいに洗って出汁にしたりして、魚の捨てる部分がほとんどないくらい、その美味しさが味わえる時期なの かもしれません。


夏に向かう頃の魚は、美味しそうなイメージが無いような気がしますが、実はそうでもないのです。


夏の釣りと言えば、軟体系のタコやイカも釣れだすので、釣りの季節としては結構楽しめる季節ではあります。


ウメイロの船釣りでは、仕掛けはテンビンカゴフカセ釣りで、電動リールを使用します。


ウメイロ以外にも色々な美味しい魚が、釣れます。


行きつけの船長はPE4号を勧めてくれます。


竿はムーチングで100号あたり。


オモリは60~70号で楽しめます。


仕掛けは、ハリス5号でイサキ針(シルバー)が良く釣れます。

 

 

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無意識|操縦方法

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無意識とは普段、私たちから無視された意識。


気にも留めずに起こしている何気ない行動は、無意識のなせるワザ。


無意識をヒトは潜在意識とも言って、思考は現実化するとか引き寄せの思考と言って、無意識を意識する様になりました。


もうかなり昔から、マーフィー博士の成功法則で、潜在意識のお話は結構話題になっています。


ヒトは無意識のうちに得手・不得手や好き・嫌いを気付かぬうちに決めてしまって、日々の生活や行動に限定をかけてしまうそうです。


トラウマも、無意識のネガティブなパワーの一つ。


なので、無理矢理にでも意識して、勝手に限定してしまった、困った欠点を克服する事を、意識からの指示で無意識に逆に働いてもらって、成功を収めるという発想の延長線上に、思考の現実化や、引き寄せの法則のお話が生まれてそこから私たちに、成功の回答を送ってくれている様です。


事程左様に、無意識は負の方向にも、正の方向にも作用して得手・不得手、好き・嫌いを私たちに気付かぬうちに、強要している様です。


なので、意識を通して無意識を手なずければ、思考は現実化し、引き寄せる力も宿す事が、できるという発想です。


ここで、無意識は、意識下での嘘を見分ける事ができたり、逆に正邪の判断はしないと言った性格が、あるという事です。


そこで、意識を通して無意識に働きかけるには、チョットしたコツがあって、それが上手く行けば無意識のパワーを活用して、願望を叶えられるというワケです。


ではその方法とは、


毎日、意識下で自分は欲するものをゲットできる方向に向かって、日々行動していると現在進行形で意識し続ける事。


その毎日の意識には、未来の現実化した自分を想像して、その時の喜びや幸福感を感情にして、例えばニヤニヤしながらでも意識し続ける事。


それらの行為にネガティブな感情を、決して持たない事。


時にどうしても気乗りしない時の事を考えて、感情が喜びや希望に向かって指向できる、お気に入りのテーマソングや画像(ポスター・カタログ)、あるいは願望を忘れないように、時間のある時には紙にその願望を書くなどの工夫を凝らして、毎日忘れない様にそしてその行為に喜びとか幸福感という、ポジティブな感情を焼き付ける習慣を身に付ければ、無意識はそちらの方向に向かって、未来を誘導してくれるという事です。


願望を具現化するには、具体的な行動が必要になりますが、先ず第一に何をすべきか・・?と考える時、意識を通じて無意識に作用する上述の様な行動を習慣化させることが、何よりも近道だという事です。


具体的な行動にピンと来ないというのなら、先ずは無意識に意識を通して探させるという発想も有効な様です。


要は一時も忘れない様に意識し続けて、無意識に検索させるというイメージです。


無意識とは本来、無視できないくらいに絶大なパワーを持っているそうです。


しかも、無意識は正邪を区別しない。


嘘も通じない。


という事で上述の様な方法を駆使して、潜在意識を活用するという事です。


毎日の意識が、無意識に仕事をさせる事になっている。


その折には、感情もポジティブにして心底願っているし、成功するという強い心で生活するという事です。


ポジティブな行動は、周囲の人々にも好感度を印象付ける事にも繋がり、ラッキーもゲットできる様になるかもしれません。


なので今の自分はすべて、自分の責任から発生しているという所以なのかもしれません。


今の状況の自分に対する責任は、すべて自分が構築していたのですネ。


他人や環境には、今の自分の状況への関係はない、全て自分の作り上げた結果が今の自分だという事です。


つまりは、自力で本願出来れば、他力でも本願できる様になるのでしょう。

 

タンポポ 気分転換

春を感じる風景のイメージは、菜の花の緑と黄色です。


淡い緑の葉に、黄色い花。


そして、暖かい風と揚げ雲雀の声。


雲雀550×412.png




河川敷を歩いていると、そんな風景が心地よいと実感します。


雲雀の鳴き声には、勢いを感じます。


生きる喜びを唱っている様です。


彼らはヒナのためにエサを探しに巣を離れて飛び回り、エサを集め終わっても直接巣に戻るのではなく、近くに着地して姿を隠して巣に戻って、巣の在処を隠しているそうです。


今の世の中、散歩に出て近郊の淡い緑に黄色い花の風景を拝める時、何か穏やかな気分にさせてくれます。


中でも河川敷の菜の花が、"いの一番" に思い出されますが、それ以外ではこの彩の風景と言えば、タンポポが身近に思い起こされます。


外出して、ソコに自生していて当たり前な風景。


土のある場所なら、どこででも逢える気持ちのする景色です。


タンポポは普段特に気に留めない限りは、本当に気にもならない雑草の様に、私たちの日常できわめて普遍的な存在に感じます。


どこででも見られる様な風景。


たんぽぽ512×384.jpg




でも逆に考えれば、気づかぬうちにタンポポが徐々にみられる機会が減少しくると、そこには自然が徐々に無くなって行っている、日々の生活の場から自然が遠ざかっているという感じもしたりします。


古き良き昔を思い出す時、脳裏に浮かぶのは春のレンゲ畑や、カラスノエンドウ、菜の花畑やタンポポテントウムシとか、モンシロチョウ、あぜ道に咲いているスミレや曼珠沙華の鮮やかな景色・・・。


当時はあまりにも当たり前な景色で、気分は今より上々だった。


歳を重ねれば重ねる程、当時の風景を思い出すと、幸せだったなどと・・・。


レンゲ畑550×415.png




昔だから護岸工事なんかされていない、草々の繁みに囲まれて水音がかすかに聞こえる小さな流れの用水路。


そこに住んでいるメダカやカエル、ザリガニとか、時にはヘビやトカゲや亀もいたりして、子どもにはアメージングな経験・・・。


浅い水面と川底の丸い石ころや水草、水溜まりには色々な生物がすんでいて、夏になればホタルも光るし、トンボも飛び回り、季節感を肌身に感じさせてくれた。

林や空き地は宅地に整備されて、砂利道はアスファルトで舗装されて、路肩の水路は暗渠で地下に埋設され、木陰や打ち水もされなくなった道路は砂ぼこりがなくなったけれども、殺風景。


蚊や蠅も少なくはなったけれど、カエルの鳴き声やアマガエルさへ何時しか庭先から消えてしまいました。


ヒガンバナ550×412.png




それでもたまの息抜き、散歩で近所の自然をめでる時、もっとも気を静めてくれる風景の一つに、タンポポの黄色い花と緑が何気なく心を鎮静させてくれて、心穏やかに癒されたりします。


今では最も身近な自然、タンポポの自生を厭う人は、先ずいないでしょう。

タンポポには在来種と西洋タンポポがあるのは、結構有名な話ですが、実際には色々な種類があって、タンポポを研究されている団体もあるそうです。


野草としても古来より親しまれていて、ノンカフェインで胃腸のコンディションに貢献しくれるお茶にもなります。


しかもこれが、雑草並みの繁殖力なのは本当はありがたい事です。


レンゲのピンク イヌノフグリの青 タンポポの黄色 紫陽花の青紫などなどは、幼い子どもには結構記憶に残る風景でした。


イヌノフグリ550×412.png




今でもチョットした郊外で小さな里山なら、ヒガンバナの鮮やかな赤や小川のフナ、赤とんぼやタマムシ、水カマキリやゲンゴロウヒキガエルウシガエルとの遭遇もそんなに珍しい光景ではないでしょう。


昔なら、ドジョウや小鮒を捕まえて、ナマズやウナギが獲れたら父親には褒められ、母親には苦笑された記憶もあったりします。


里山の小川550×825.png




そう言えば、アジサイにカタツムリの光景がめっきり少なくなってきたような気もします。


それでも尚、タンポポは意外と頑張ってくれている様な気がします。


タンポポの色合い・景色は心穏やかになって、時に自分も活かされているという実感を呼び起こさせてくれたりして、チョットした幸福感を思い出させてくれたりもします。


またある時には、不安やネガティブな雰囲気を払しょくしてくれて、人間真っ裸で産まれ出て、真っ裸で自然に帰る真理を幾度も思い出させてくれて、世間の騒々しい波からコーヒーブレイクさせてくれたりもします。


行き詰まりやどん詰まりを感じて、外出した時上を向くのも結構です。


でもあえて足元を伺えば、タンポポの自生が何言うという事もなく、語り掛けているような気にさせられたりします。


天上天下唯我独尊


うぬぼれじゃなくて、人生一回コッキリ、コレっきりという印象です。

バラとハマナスの徒然

バラ550×550.png



薔薇の花ほどどこの花屋さんでも、見かける機会のある花は、そう多くはないでしょう。



バラには求愛に対する象徴的なイメージ、情熱的な印象が浮かびます。



西欧では、多くの人々に愛されている花という印象です。



その様なイメージのあるバラは、古来の日本の華道では使用されて来ませんでした。



その理由は薔薇のトゲが、忌み嫌われていたのだそうです。



昔の人々にとってバラは、そのトゲがあるために、人を寄せ付けない印象だった。



古来の華道では、そこがネックになって活けて見られる花としては、評価してもらえなかった。



欧州ではバラに関する逸話も多く、特にフランスで品種改良された 3-35-40というバラは、大戦の戦禍を逃れるために米国や敵国のドイツにまでもその種苗が、送られて保護され絶滅を逃れたという事です。



奇しくも終戦後、敵国のドイツから再び3-35-40というバラは、フランスへ帰って来たのだそう・・・。



サンフランシスコ講和条約の折、この花は参加者各自の手元に届けられて、その折に名がついたそうです。



そのバラの名は ピース 。



バラ ピース550×366.png

画像:ウィキペディア参照



さて、ハマナスバラ科の植物。



日本沿岸で野生で見受けられるバラ科の植物で、ドイツでは結構重宝がられていて、原産の日本よりも多くの人々に親しまれているそうです。



ハマナスは寒冷地を好む花なので、ドイツでは好んで育てられているのだとか・・・・。



塩害にも強く、凍結した道路に撒かれる融雪剤に耐えるというので、路上際を賑わせているそうです。



ドイツではもはやハマナスは、日本から送られてきた花という感覚ではないそうです。



バラの育種家くらい詳しい少数の人々にしか、ドイツでは知られていないのだとか・・・。



ハマナスは食用や漢方薬にも使用されたりして、意外に重宝な花です。



ハマナス550×733.png

画像:ウィキペディア参照



バラの育成・栽培に関してはフランスが秀でていて、世界的には英国やフランスの庭園の主役的存在のイメージです。



品種の改良にも長けていて歴史も長く、私たちのイメージもバラと言えば、欧州のシンメトリックな庭園を思い浮かべたりします。



世界的にも愛されているバラにはミスターローズと呼ばれた有名な種育家がいて、その道では世界的にも有名な人物がいました。



その Mr.ローズ とは、日本人だったそうです。



日本のバラの育種家 鈴木省三 氏です。



彼は品種改良に携わっていた時、日本のバラの原種にこだわって、病気に強く耐性のある薔薇を改良して欧州に遅れを取っていた日本のバラの育種に生涯をささげた人物だった。



バラは花弁が豊富で、こんもりとふくよかなスタイルが好まれがちですが、Mr.ローズはノイバラの様な質素で小さなバラも愛したそうです。



その種育が、世界的にも認められるようになって、欧州のバラの育種家にも彼の名が、知られる様になりました。



欧州の薔薇の庭園を立体的に装飾できるようになったのは、蔓が伸びる様に成長してくれるバラを育成した彼の業績で、日本のノイバラから産まれたそうです。



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Mr.ローズ は資生堂のバラに関わる商品開発にも参加していた事は、知る人ぞ知るお話です。



北海道 大沼|マガモのニュースとヘラブナ釣りのメッカ

北海道の大沼にマガモ親子の記事が掲載されていました。



母鳥に寄り添いひな9羽 大沼公園で : 函館新聞

渡り鳥の中でもカモ系の水鳥には、数を増やして元気でスクスク育って欲しいという気持ちが、ひときわおこったりします。


そう思ってしまうのは、水かきで歩くヨチヨチ姿とあのクチバシに、どうにも愛嬌を感じてしまうからかもしれません。


鳥のヒナはどんな鳥でも愛らしいモノだけど、カモ系のヒナの愛らしさにはその様な事情があるからなのか、特に愛らしい気持ちになります。


しかも彼らは草食系の印象があるし猛禽類に狙われる立場なので一層、守れるものなら守ってあげたい気持ちにもなります。


他方、カモは鴨。


その美食には人様もその恩恵に授かっているワケで上述の様な画像を見てしまうと、美味しい鴨南蛮とかカモ鍋の美食にもツイツイ食い気が萎えてしまう事もあったりしそうです。


渡り鳥は否、一般に鳥類は捕獲を禁じられていて、一般の私たちには勝手に捕まえて飼育する事も、叶わなくなりました。


なので鳥を飼うのなら、ペットショップを通して愛玩するしか術は、ありません。


あるいは夜店で雄鶏を買って育てるか・・・。


ごくマレに、有精卵を温めて牝鶏やウズラが孵った話を聞いたりします。


昨今では少なくなった猟師が、一部の場所と期間で猟で取れたりした野生の鳥の肉を味わった事のある方々なら、その味覚に忘れられない思いをした事も少なくないでしょう。


沢山飛んで来てくれたなら、鹿やイノシシのように沢山育ってくれたのならという、一抹のあさましい食気を覚えてしまうのは何も私だけではないでしょう(^^ゞ


子ガモがカラスの餌食になるより、一羽でも多く渡って欲しいという気持ちはカラスには申し訳ないけれど、美食家ならそれが人情というモノ・・・?


そのカラスでさへ、自然の中でスクスクと育ったカラスなら絶品の味なのだとか・・・?


さすがにコウモリを食そうとまでには考えが及びませんが、私たち "人" というのは結構、悪食なモノなのでしょう。


肉食は人類の知能に大きな貢献をしたそうです。


鶏肉や獣の肉、魚に至るまで生物を食して生物は成長する。


中には植物系のみを食する生物もいるけれど、海陸の別を問わず雑食性なのがほとんどの生物。


大雑把に言ってしまえばそんなイメージ。


グレやアイゴ、ブダイも一応草食性の魚だと言われているけれど、オキアミで釣れます。


さて、北海道の大沼と言えば、巨大なヘラブナが釣れるというヘラブナ釣り師の間では有名な釣り池。


ヘラブナは元々、琵琶湖水系で育てられたフナを釣るというレジャーのために交配して人工的につくられた魚。


犬や猫、豚や牛や鶏の様に、人のワガママのために産まれ出た魚。


彼らに対する幸福論はこの際置いておいて、母なる惑星では試行錯誤で多くの種が栄えたり絶滅したり・・・。


種の栄枯盛衰は自然選択というけれども、その中に人類の恣意的な行いも神様はお見通しで、もしかしたらその中に含まれているのかもしれません・・・?


子育てをする生物は知能が高いのか、それとも始めからそういう風に組み込まれているのか・・・。


魚類や昆虫の中にも一定期間、卵を保護して種の保存を図っているモノもいる事は判っています。


哺乳類と鳥類だけが、子育てのためにエサを運んでくる時期があるのは、何でなんでしょう・・・?


とはいえこれからの季節、大沼で大きなヘラブナを狙いながら、子ガモを率いるマガモ


姿を観られるのも、悪い気はしません。


釣り好きな人なら、そんな場面も悪くはないのでは・・・?



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麒麟が来る カレー 6月2日

 

参考:NHK大河「麒麟がくる」メインビジュアルが解禁

 

 

6月2日は、本能寺の変があって、横浜カレーの記念日。

 

 

本能寺の変は、織田信長に謀反を起こした明智光秀という日本史での史実。

 

 

今年の大河が、"麒麟がくる" で、明智光秀が主人公。

 

 

今までの光秀のイメージは、出世させてくれた信長へのご謀反という印象がほとんど・・・・。

 

 

けれども経年の史実の調査で、色々と以前は判らなかった事が明るみに出て来て、光秀の詳細も浮き彫りにされてきて、もちろん信長の詳細も同時に色々分かってきて、フィクションではあるけれどもそれらの若干の史実に基づいて、今回の大河ドラマも面白おかしく視聴できるイメージです。

 

 

チョッピリ残念なのは、お派手な鮮やか過ぎるショッキングな彩りが綺麗だけれども、不自然なイメージ・・・?

 

 

とはいえ歴史バラエティーとして、水戸黄門の全国での活躍を愉しむ様に楽しめます。

 

 

光秀は福知山周辺を統一する時に、かなりノイローゼ気味になってお上の指示通り "布武" して行ったそうです。

 

 

福知山観光協会参照

 

裏切りや、約定の破棄を信長に強いられて、自らの立場を無視されるかの様な上からの指示に、従わざるを得なくなって本心と作業遂行に反故をきたして、ノイローゼ状態になったという話です。

 

 

光秀は自分の出世には、信長に感謝していた。

 

 

他方で、あまりに厳しすぎる使命については、精神すらズタズタにされていた。

 

 

信長は、アクティブで積極的な反面、重臣たちへの信頼やコンセンサスを当時の下剋上的な状況下では、上手くパイプを繋げる事が出来なかった・・・?

 

 

数々の自分に対する恨み言が配下に堆積していた事も、薄々知っていたのかもしれません。

 

 

しかし、"天下布武" を掲げた以上、あの頃の情勢から死を賭して貫徹するしかなかった・・・?

 

 

信玄や謙信、道三、義元等々の戦国武将にはそれぞれの才能や産まれ出た立場もあって、色々な状況・立場ででその頃の世間を生き抜いて、歴史上で彼らのその一部分にスポットライトが当てられて、私たちはそれを聞いて日本の歴史として咀嚼しています。

 

 

それにしても戦国時代とは、生き馬の目を抜く荒々しい時代が、想像できます。

 

 

日が沈めば今以上に真っ暗闇な世の中だったにも関わらず、情報の伝達の速さも私たちが、想像する以上に早かったのかもしれません。

 

 

光秀の謀反には今なお謎が多い事件です。

 

 

今では彼の名誉もある程度、回復されつつある感じがします。

 

 

龍馬や西郷はヒーローで、尊氏や足利義満などの足利幕府の頃は統治する彼らには、ネガティブなイメージで受け止められがちです。

 

 

とはいえ足利幕府時代の文化は、今でも日本文化の根幹を為すくらいに華やかで日本という国らしさが、開花した時期でもあったりします。

 

 

ある意味その辺りも、彼らの産んだ副産物として評価できるのなら、清濁併せのんで評価しないといけないのかもしれません。

 

 

同様に光秀も、反逆罪で問われ続けて来たアンチヒーローのイメージでしたが時代を経て、変わって来そうです。

 

 

家臣に平等で優しく、統治していた領民にも慕われていた。

 

 

逆に親類筋でもあった細川家には冷たくあしらわれて同調を期待したモノの、彼らの信・協力は勝ち取れなかった。

 

 

信長も光秀も、後の秀吉も短期で権力の座を、失わざるを得なかった・・・。

 

 

戦国時代は幕末と共に日本史では、人気な時代です。

 

 

話しが少々ずれてしばし考えて見れば、西の隣国大陸での戦国時代にも面白い逸話が残っていて、司馬遷史記で列伝として伝えられ戦国時代当時の日本の武将たちにも人気がありました。

 

 

司馬遷参照イラスト:BASTILLE巴士的報

 

 

信玄の兵法好きは、私たちも既知のお話です。

 

 

それが通用しなかった謙信は、非常に強かった・・・?

 

 

そんなイメージもあったりして、戦国時代は魅力的です。

 

 

さて私たちの知らない、史記からの逸話を当時の戦国武将も学問として、知っていたわけです。

 

 

個人情報と当時の世相との混同的なお話になりますが、歴史上のお話ってそんなカオスが魅力的なので、今回はご容赦です(>_<)

 

 

そんなこんなも鑑みて当時の彼らの活躍には、まだまだ深掘りできそうな史実が、隠されていますネ。

 

 

さて、6月2日は光秀の件以外ではカレーの日で有名なのだそうです。

 

 

今は無き(?)横濱カレーミュージアムが、日本記念日協会の認定を通して記念日として制定されたそうです。

 

 

庶民が制定して庶民が認定した感じのする、ホノボノとしたカレーの日という印象です。

 

 

カレーと言えばインドとか、大日本帝国海軍とか、イギリスとか、暑い海上と勇ましい戦いや大砲のイメージもしないでもありません。

 

 

普段カレーを喰ってて、その様なイメージは滅多に考える事は、無いけれど・・・・。

 

 

カレーは最早日本でも家庭の味の一つ。

 

 

うどんや麺類にも、スナックにもカレー味はツキモノ。

 

 

ターメリックピリ辛な感覚はもうカレー風味。

 

 

海上ではカレンダー代わりに決められた日にカレーが食事として賄われていたという事で海軍カレーが有名になったという事です。

 

 

しかもそのカレーは美味しい。

 

 

世の中色々なカレーが楽しめますが、海軍カレーはカレーでも上位表示されるほどに知られている、カレーですネ。

 

 

ここでは、人気の美味しいレトルトカレーのおススメです。


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キングダム 見逃し

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キングダムで秦の始皇帝、嬴政(エイセイ)の名が、若い人々にも知られる様になりました。

 

 

本場中国での始皇帝のイメージは、豺狼(さいろう)の声をして、無慈悲で恐ろしい王様という印象の皆様が、多かった様です。

 

 

呂不韋(りょふい)に"奇貨居くべし"と言わしめて、始皇帝の父の頃、彼の策謀によって連綿と続いた呂不韋の傀儡(かいらい・・・操り人形)として秦のトップレベルにまで成り上がったというストーリーが、一般的です。

 

 

若かりし嬴政の頃は呂不韋の傀儡の子として育てられた。

 

 

そして秦の君主に即位して本来なら恩のある呂不韋に死を授け、自らトップに立ったのが嬴政。

 

 

呂不韋にしてみれば、自分の愛人を嬴政の父親に献上してまで、秦の経済や権力を恣(ほしいまま)にして来ました。

 

 

秦の始皇帝は薄々、自分の出自を知っていたのかもしれません。

 

 

となれば、彼は父を剋して国のトップになった・・・?

 

 

斎藤道三と義龍に重ね合わされる様な、イメージもなくはない・・・?

 

 

彼の母親は、彼が本当の血筋を引いているのかいないのかに謎を残して、世を去りました。

 

 

そもそも彼女は呂不韋の愛人だった。

 

 

それが嬴政のトラウマにもなっていたと・・・。

 

 

司馬遷はそれを史記で、臭わせていた・・・?

 

 

始皇帝登場以前からかの地・大陸では中原という発想があって、春秋・戦国時代以前の国家 ”周” でさへ西戎扱いで、化外(けがい)の民族だった。

 

 

その周より更に西方の国が、秦だった。

 

 

中原の国家からしてみれば、周も秦も "西戎" すなわち西の野蛮人扱いだった。

 

 

始皇帝が現れる前から、秦は中原の国々から有能な人物を登用していました。

 

 

百里奚(ひゃくりけい)、商鞅(しょうおう)、范雎(はんしょ)などが有名で、彼ら毎(ごと)の小説が、あるくらいに昔から有名です。

 

 

秦では寝室も食卓も同じ部屋で執り行っていてそれが野蛮だという事で、中原の習わしやシキタリを取り入れて、洗練された中原の様式を積極的に取り入れていたと・・・?

 

 

秦に登用された人々の中でも特に商鞅は、韓非子の流れをくむ法家の人だった。

 

 

法家とは法律で国の基(もとい)を築くべきという発想で、彼は有名な天才肌だった。

 

 

法家と異なる思想は既に、春秋戦国時代には色々あって、当時の事を諸子百家の時代と言われる程、様々な思想や考え方がかの地・大陸では誕生しました。

 

 

孔子儒教や、老子の道(タオ)・道教墨子の博愛主義や国際的連携を重視する縦横家等々、特に孫子の兵法は有名・・・。

 

 

中でも商鞅は法家のその法によって、非業な死を遂げたというイメージがかの国・大陸の民には染みついていて、元々中華思想な彼らには、法と個人の生存権との間での解釈構造が、この頃まだ縄文・弥生時代な東夷の列島の民とは色合いの異なる感覚が、邪推あるいは示唆されます。

 

 

西遊記などでも伺える様にかの地・大陸の人々には、神と人間は同位置的に捉えるかの様な視線は、一神教(キリスト教イスラム教)では考えられない発想です。

 

 

それこそが、中華思想のイメージとも思えなくもない・・・?

 

 

その点において仏国との中華思想とは、ニュアンスが異なって来る様な気もします。

 

 

さて秦の将軍では、王翦(おうせん)が有名で、老齢になって始皇帝 政より戦いの命令が下された時に、彼は多くの謝礼を望んで秦の軍事力の大半を指揮して、戦に出かけた。

 

 

この将軍は政の猜疑心を知り抜いていて、自分に謀反の心の無いことを、欲張った恩賞でかわしたとして有名な逸話になっています。

 

 

白起将軍も有名で、天才的な戦いで功績を収めたのが、本国の猜疑を買って自刃に追い込まれた将軍として有名です。

 

 

彼はチビだったそうです。

 

 

にもかかわらず敵国には大いに恐れられた、辣腕を振るった将軍です。

 

 

周は封建制を取り入れて、その制度の成り行きを見事なまでにトレースして、その終末期は末端の地位の国々(夷狄:いてき ≒ 野蛮・未開発な国々)が中央をしのいで、その中央たる周自身は先細りして行き、ついには朝貢していた化外の国々(夷狄の国々)に覇権を奪われて、援助を求める立場へと凋落して行きました。

 

 

夏王朝は殷(商)に、殷王朝は周に斃(たお)されて国の名はそのたびごとに変わり、その交代劇を易姓革命(えきせいかくめい)と言われてきました。

 

 

彼の地・大陸では、多くの民族が覇権を巡って争っていたし、中華思想も手伝ってか、ジェノサイドが基本だった。

 

 

言葉も習慣も異なる民族が、陸続きでせめぎあう大陸では、易姓革命 ≒ 大虐殺 の歴史を歩まざるを得なかった・・・・?

 

 

彼らから見て東夷の国は当時、まだ国家としての体はなさず、ジェノサイドもなくて平和で穏やかな採集狩猟生活を1万年以上も続けていた。

 

 

当時以前から清・中華民国という国家に至るまでの時の流れの中で、かの地・大陸の国々の民族たちは海へは、・・・海の向こうへは、関心が無かった。

 

 

かつて台湾に漂流した日本の民が、台湾の人々の手で虐殺された時、明治政府はその責を追及して清に賠償を求めたが、化外の島ゆえ清にはかかわりが無いと拒絶された程だった。

 

 

というワケで秦の統一前後でも、敗戦の憂き目に遭った国々は海へ出て、この国に漂着した人々もいたのかもしれません。

 

 

海へ出てしまえば、命が助かるかもしれない。

 

 

大陸にいては何時かは、殺される。

 

 

海に出てしまえば、助かるかもしれない。

 

 

かの地・大陸では大航海時代以前、明(みん)の頃、鄭和がアフリカまで赴きましたがそれでもなお、かの地・大陸の歴代の国々は海外への関心は薄かった。

 

 

ちなみに鄭和はアラブ系の宦官だったという事です。

 

 

鄭和の目的は、明という中華の国の偉大さを化外の地へ知らしめるプロパガンダで、西欧諸国の植民地支配とは違った発想だった。

 

 

かの大陸が海で関心を持ったのは、殷(商)の占卜に使用されていた亀甲と子安貝くらいだった。

 

 

フカひれもキンコ(ナマコの干物)も清の頃の日本からの輸入で、中華料理のレシピに登場したくらい。

 

 

今頃になって太平洋も東・南シナ海日本海・インド洋すらわが領海などと、寝ぼけた虎の遠吠えの様なイメージ・・・?

 

 

話がそれましたが、秦の始皇帝は旅行中に亡くなり、宦官と愚昧な息子によって敢無く滅亡しました。

 

 

始皇帝は初めてかの大陸を度量衡で統一した人だった。

 

 

かの地・大陸の発想・思想は易姓革命のもと、連綿として今なお近隣諸国を脅かしています。

 

 

キングダム恐るべし!

 

 

 


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